甘やかすのが指導者ではない!
愛情があるなら怒鳴ってもいいんじゃないのか?
世の中の少年野球の指導者は怒ってばっかりというイメージがある。
管理人は実際に少年野球の指導者をする事になり、子供達を怒る時もあるし怒鳴り散らしている指導者の気持ちもわからなくはない。
でもそこに愛情はあるのかい?という質問をしたい。
管理人は少年野球チームで教えている子供達が大好きだ!時に怒る事もあるけど子供達全員が大好き。愛情を持って怒っているという事には絶対的な自信を持っている。でも中には愛情を持たずに子供達を怒っている指導者がいるのはとても残念な事だと思っている。
甘やかすのが優しい指導者ではない
子供達が何をしても許す指導者。練習中に遊んでいても許す少年野球の指導者が正しいのか?危険な遊びを見て見ぬふりをするのが優しい指導者なのか?
管理人はそうは思わない。悪い事は悪い!とちゃんと子供達を怒れる指導者こそ優しい指導者なのではないか?と思っている。
その場しのぎの優しい指導者が本当に子供達の為になるのか?
子供達の為を思って心を鬼にして怒る事も絶対に必要だと思っている!
できれば褒め続けていたいけど、褒め続けていると調子に乗ってしまう子供達は多い。褒めてる事も大切だし、時に厳しくする愛のムチも絶対に必要だ。
自分の子供に対して常に甘やかしますか?大好きな我が子をめっちゃ怒る時もあるでしょう?
厳しくするのは愛情の裏返し。
少年野球の指導者はまさに親心。甘やかす指導者だけが優しいわけではないのだ。
厳しい指導でも子供達に恐怖を植え付ける指導は絶対にダメ!
「厳しい指導」を履き違えている指導者が多いのも現実だ。子供の為に厳しい指導をする事には大賛成だけど、子供達を威嚇して恐怖を植え付けての強制には賛成をしない。
厳しい指導に「汚い言葉」はいらない!
テメーコノヤロー!
このような汚い言葉は子供達に恐怖を与えてしまう。
大人から与えられる恐怖というのは子供達は絶対に逆らえない。力では絶対に勝てないから。
言い方一つでも変わるだろう。言葉のトーンでも子供達への伝わり方は180度違うと思う。
「お前らちゃんとやれよ!」という一言を愛情を持って子供達に伝える時と、大人がイライラして伝える時は180度ちがうでしょう?
お前らちゃんとやれよ!(愛情を込めて)
お前らちゃんとやれよ!!(大人のイライラをぶつける)
同じ言葉だけどニュアンス一つで子供達への伝わり方も180度変わる。
恐怖を与えない「厳しい指導」をしてほしい!
子供達に恐怖を与えるような指導は「厳しい指導」とは言わない。威嚇や脅迫に近いだろう。
子供が指導者への恐怖を持ってしまうとその指導者への恐怖心が先に出てどんなに良い事を言っても子供達には入っていかない。
子供達が「やばい!」と思えるのが厳しい指導
「ビクッ!」と恐怖を感じるのは威嚇になってしまう。
知らず知らずのうちに子供達に恐怖を与えている少年野球の指導者は絶対にいると思う。
言葉というのは怖いもので言い方一つで子供達への伝わり方も違う。
昔ながらのカミナリ親父的な指導者は必要だけど、子供達に恐怖を与える指導者はいらない。
子供達の事を考えたカミナリ親父であれば子供達からも愛されるだろうし子供達へ良い影響を与えると思う。
子供達へ厳しい指導をしている少年野球の指導者は、胸に手を当てて考えてほしい。
子供達に恐怖を与えていませんか?
子供達に「やばい!」と思ってもらえるような厳しい指導をしていきましょう!
※指導とは「指で導く」と書く。
恐怖を与えて強制するよりも、子供達に気付かせる厳しい声かけが指で導く指導なのではないだろうか。
指で導く!恐怖を与えるのは指導ではないですよ。
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